交錯する思い 〜NBAオールスター in ラスベガス〜


2002年の夏。直前のシーズンを36勝46敗で終えたヒートに、かつての強豪チームの面影はありませんでした。チームの大黒柱だったモーニングは腎臓病を患い、モーニングとともにチームの黄金期を支えてきたティム・ハーダウェイも1年前にチームを去り、他の主力選手も高齢化。チームは再建期に差しかかっていました。そんななかで、ヒートがチームの将来を託してドラフト10位で指名したのは、コネティカット大出身のSFでした。


彼の名は、カロン・バトラー。


カロンがヒートに入団した1年目、彼自身は平均15.4得点という活躍を見せましたが、チームは25勝57敗でディビジョン最下位に沈みました。そして翌年、カロンは開幕前に負った怪我の影響で出遅れ、1年目のような活躍は見せられないまま、平均9.2得点でシーズンを終えました。しかし、期待はずれに終わったカロンの成績とは裏腹に、ヒートの成績は飛躍します。ドラフト5位指名で入団した1人の若者の存在が、ヒートの運命を変えました。ドウェイン・ウェイドです。


そして2004年、ヒートはトレードでシャックを獲得。その交換要員として放出された1人がカロンでした。シャックの加入によってヒートは優勝を争う強豪チームへと復活し、ウェイドも一気にスターダムへと上り詰めました。そして2006年、悲願のNBA制覇を祝う歓喜の輪の中心には、ファイナルMVPのトロフィーを掲げるウェイドの姿がありました。


2002年にヒートに入団したカロンと、その1年後にヒートに入団したウェイド。ヒートでの在籍わずか2年でチームを去ったカロンと、多くのヒートファンの夢を実現してみせたウェイド。ともにヒートの将来を背負って立つと信じられた2人の対照的な足跡を振り返りながら、ふと、2002年のあの日のことを思い出しました。カロンがヒートにドラフトされ、涙を流しながら壇上に上り、デイビッド・スターンと握手を交わしたあの日のことを。


ヒートを再び強豪チームへと立て直してくれるのはカロン・バトラーをおいて他にはいない……彼は将来、オールスターに出場し、チームをNBAファイナルに導いてくれる……。私が抱いたその気持ちは、願望というよりも祈りに近いものだったように思います。今思えば、心の底ではそれが実現するとは思っていなかったのかもしれません。そして、カロンではなくその翌年に入団する選手が、私の思いをそっくりそのまま実現してしまうということも、当時は想像さえできませんでした。2002年のあの日から、もう5年近くになります。その間に様々なことがありましたが、一つ確かなのは、私が思い描いた未来の一つが間もなく現実のものとなるということ。


ウェイドに遅れること2年、カロン・バトラーがオールスターのコートに立ちます。